17歳の時強迫性障害を発症し以降今日に至るまでみんなが普通に出来る事が出来なくなった娘の話①

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 中学生という大事な時期を娘と向き合うことなく過ごしてしまった私

 私は娘の事をちゃんと見ようともせず、自分が欲しかった”理想の母親”になろうと必死で、それしか考えてなくて娘との絆を作れなかった。自分の事しか考えてなかった。そのせいで娘を苦しめてきた。
 中学の時の先生がとてもいい先生で母親の私が出来なかった娘をちゃんと見て支えてくれた。
 娘はその先生に対しては”素”の自分で居られたみたい。だから病むことなくとても充実した時間を過ごしていた。
 でも同時に私に対しての思いを投影する先生もいた。
 娘はその先生に自分の事を見てもらう為に勉強を頑張る事で期待に応えようとした。
 結果、成績優秀な生徒になり進学校に入学した。
 当時はそれが分からなかった。
 私は自分が何にもしていないのに暢気に優秀な娘が誇らしかった。
 けれど、それがそもそもの始まりで高校へ入学と同時にとても辛く苦しい日々となっていった。

強迫性障害の発症

 進学校に入学した娘。
 母親(私)に代わる先生はもう居ない。誰の期待に応える必要もなくなった。頑張っても誰も自分を見てくれない。勉強を頑張る理由もない。学校に馴染めなかった。
 友達も出来なかった。他のみんなはいい大学に進学する為の通過点に過ぎない高校生活だった。もっと先を見ていた。その為に頑張っていた。
 当然と言えば当然だったのかもしれない。
 次第に学校に居場所がなくなっていった。それでもまだその状況になっている事を私は理解しなかった。向き合おうともしなかった。自分のことで精一杯だった。
 自分が欲しかった”理想の母親”であり続ける事にしか興味がなかったんだと思う。当時は必死だったから分からなかったけれど、娘をちゃんと見ようとする事がどういう事かも気付かず考えようともしなかった。
 それでも娘が出来る事は、ただ一つだった。
 

母親(私)に自分を見てもらう為に頑張り続けなければいけない

 そうして無理をし続けた娘は高校2年生になった頃、”強迫性障害”という病気を発症してしまう。
そこからはとても辛く苦しく長い長い出口のないトンネルに入ってしまったような日々だった。  

娘の強迫性障害の症状

 ”強迫性障害”という言葉は娘が発症した6年前はまだまだ世の中にそれほど知られてはいなかった。
 「一番分かりやすい症状としてはずっと手を洗い続けてしまうというような」と話すと少しは分かる人がいるかな、という程度だった。
 娘に現れた症状もそれだったのだけれど、それだけではなかった。

  • 洗剤などが口に入ったりして死ぬんじゃないかというような恐怖心
  • 大事なものが知らない間になくなってしまうのではないかというような恐怖心
  • 誰かに大丈夫と言ってもらわないと安心出来ずに何度も確認をしてしまう。など

 一番酷い時は、道端に落ちているタバコの吸い殻が怖くて道のど真ん中しか歩けなかったし、朝起きて顔や手を洗う順番や手順にルーティーンがあってそれを途中で声を掛けたりして分からなくなってしまったらまた最初からやり直さないと居られなくなり、朝起きてから外に出る準備をするのに何時間もかかってしまったり、文字通り普通の生活が送れなかった。

 明らかに誰が見てもおかしい、病気だと分かった。
 けれど、そこからが問題だった。娘が17歳だという事。
 大きな病院ならもしかしたら診てくれたのかもしれないが、そこら辺にある心療内科や精神科では
 18歳という大人の年齢でないと診れないと門前払いの病院ばかりだった。
 17歳はぎりぎり小児の年齢らしい。
 藁をもつかむ思いで行った脳神経外科で初めて”強迫性障害”という病名を聞く事になってのだが、
 ただ病名を告げられただけでなんの対処もして貰えなかった。
 薬を処方しようかと聞かれたが、洗剤などの口に入ってはいけないものへの恐怖心という症状が出ていた娘には得体のしれない薬も恐怖心を抱く対象だった。拒否してしまった。
 その先生は本人の意思を尊重する人だった。患者本人が希望しなければ処方しない方針だった。
 2週間に1回の10分程度の診察だけだった。
 それ以外の日常生活をいったいどうやって送ればいいというのだろうか?途方にくれた。
 そんな中、やっと診てくれる病院を見つけて治療が始まった。

最初の治療

 やっと診てくれる病院が見つかった時に言われたのは、境界性人格障害を発症しかけているから薬が必要だと。
 娘本人が嫌がっていると伝えると言われた言葉。
 「怪我をして血を流しているのに何の手当もしないのか?」と。
 本人が納得しようがしまいが怪我している事が認識できないだけで手当が必要な状態です、と。
 言っていいのか分からないけれど、本人を騙してでも薬を飲ませろと。

 ①のまとめ

 ここから投薬による治療が始まる事になった。
 幸い、最初に処方された薬はとても的確で最初は副作用やそもそも休むという療養が必要だった状況もあって1日中寝ていた娘だったがしばらくして激しく表面化していた強迫性障害の様々な症状が治まり、日常生活は安定していくようになった。
 だが、ここからがまたさらにこの病気との長く辛い戦いが始まっていくことになった。
 続きは②として書くことにします。

 お付き合い、ありがとうございます。

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